村上憲郎氏は、グローバルに活躍する日本のリーダーです。30歳から英語の勉強を始め、グーグルの日本法人の社長を務めていたほどです。今回は村上憲郎氏の人物像や経歴、年収や著書について紹介します。「いつか外資系企業で働いてみたい」と考えているなら、ぜひ村上憲郎氏のキャリアを参考にしてみてください。
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この記事の監修者
キャリアカウンセラー|秋田 拓也
厚生労働省のキャリア形成事業にキャリアコンサルタントとして参画。
大手警備会社にて人事採用担当として7年間従事の後、現職にて延べ200名以上の企業内労働者へキャリアコンサルティングを実施。
■所持資格
国家資格キャリアコンサルタント、産業カウンセラー、CDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)
村上憲郎(むらかみのりお)はグローバルに働く日本のリーダー
村上憲郎氏はグローバルに活躍する、まさに日本のリーダーと言っても過言ではない人物です。
1947年生まれの村上憲郎氏はシステムエンジニアから営業職に転身してキャリアを積み、グーグル日本法人の社長兼グーグルアメリカ本社副社長を務めるなどの輝かしい経歴を持っています。
現在もIT業界に精通しており、人工知能やIoTなどの技術論や、キャリア論についてのインタビュー・講演を積極的に行っているようです。しかし、彼は最初から大企業で出世街道を歩いていたわけではありませんでした。
以下では村上憲郎氏がどうキャリアを積んでいったのかを紹介します。
村上憲郎(むらかみのりお)の出身や経歴
以下では、村上憲郎氏の経歴を時系列で紹介します。
京都大学で学生運動に興じていた人物が、どのようにGoogle日本法人の社長にまでなったのでしょうか。
村上憲郎の出身は大分県
村上憲郎氏は1947年に大分県の佐伯市で生まれました。当時の日本は第二次世界大戦を終えたばかりで、決して豊かではありませんでした。
それでも勉強が元々好きなため、コツコツ努力をすることが得意だったと言います。そして、京都大学工学部に入学します。
京都大学を卒業する
学生時代はコンピューターと学生運動に明け暮れました。人工知能が出てくる映画に夢中になり、自分で参考書を揃えて大学のコンピューター室にこもっていたそうです。
同時に「極左暴力学生」と自分で言うほど過激な学生運動に参加し、その活動のせいで逮捕されたこともありました。
日立電子株式会社のエンジニアとなる
村上憲郎氏は逮捕歴があったため、縁故で就職先を探していたそうです。就職活動中に日立電子株式会社との縁があり、コンピューターを触っていた経験を買われて入社が決まったとのことです。
日立電子株式会社では、がむしゃらに働き続けました。月の残業時間が200時間にものぼり、会社で寝泊りすることもありました。そのおかげで、コンピューターの仕組みを一から理解できるようになったそうです。
渡米し、DECの本社で働く
日立電子株式会社で8年勤めていましたが、同社がミニコンピューター事業の撤退を決めました。そこで、当時ミニコン事業1位だった外資系コンピューター企業DECへの転職を決めます。
DEC入社の際に村上憲郎氏は営業職へ転向します。しかし、入社後英語が必要なことが判明します。英語を話せなかった村上憲郎氏は毎日3時間勉強し続けました。その努力が実り、DECのアメリカ本社への移籍が決まります。
帰国後、DEC Japanのマーケティング担当取締役になる
DECのアメリカ本社では防総省による人工知能プロジェクトに携わっていました。しかし、ネイティブとの英語の壁やMBAを持っていないことに対して出世の限界を感じ、日本への帰国を決めたそうです。
「アメリカ本社ではなれても副社長止まり、でも日本でならDECの社長になれる」と村上憲郎氏は考えました。そして、DEC Japanのマーケティング担当取締役に就任し、組織作りの指揮を取るようになったのです。
Northern Telecom Japanの社長兼最高経営責任者を務める
DEC Japanで働いた後、村上憲郎氏は1997年にNorthen Telecom Japanに転籍し、社長兼最高経営責任者を務めます。
Northen Telecom JapanではBay Networksの子会社のBay Networks Japanとの合併を進め、経営上でも優れた推進力を発揮しました。
Docentの日本法人であるDocent Japanを設立する
そして、2001年にはDocentの日本法人であるDocent Japanを設立して日本法人代表に就任しました。Docentはeラーニングの統合パッケージを扱うソフトウェア会社です。
Docent Japanは村上憲郎氏の退任後、アメリカ本社がClick2learnと合併したことを受けてサムトータル・システムズとなりました。
Google米国本社副社長兼Google日本法人代表取締役に就任する
2003年に村上憲郎氏は人工知能開発経験を買われ、Docent JapanからGoogleへ転籍します。当時のGoogle日本法人は社員が10人程度しかいませんでした。それでも、当時から社員の技術力は世界最高レベルだったそうです。
そして、Google米国本社副社長兼Google日本法人代表取締役に就任しました。本社では日本とアメリカをつなぐ橋渡し役として活躍し、2009年にはGoogleの名誉会長になりました。
現在は村上憲郎事務所代表を務める
現在はGoogleの経営を退き、村上憲郎事務所の代表をしています。村上憲郎事務所ではインタビュー取材への対応や著作物の出版、講演会の実施などをメインとして行っています。
村上憲郎氏のキャリア観や仕事術、今後の人工知能の展望などを聞こうと今も数々のメディアが村上憲郎事務所に問い合わせているようです。
村上憲郎(むらかみのりお)の年収
村上憲郎氏の年収がどれほどだったのか、正確な値はわかりません。村上憲郎氏は外資系企業を渡り歩いており、どの企業も役員報酬を公開していないからです。
2015年にはGoogle本社のCEOサンダー・ピチャイ氏は就任時に1億ドル相当の株式を、2016年には2億ドル相当の株式を受け取ったとBloomburgは報じています。1億ドルは約108億円です。
村上憲郎氏のGoogle日本法人就任時の企業規模はまだまだ小さく、また本社CEOでもなかったのでここまでの額が支払われてはいなかったでしょう。それでも、億を超える役員報酬があったことがうかがえます。
村上憲郎(むらかみのりお)をもっと知りたい方へ
さらに村上憲郎氏の人物像や考え方を知りたい場合には、ぜひインタビュー記事や彼の著書を読んでみてください。
以下で村上憲郎氏のインタビュー記事と著書の一部を紹介します。
村上憲郎のインタビュー記事
村上憲郎氏のインタビュー記事はインターネット上で多数公開されています。中でもおすすめは以下の2つです。
- 前Google日本法人名誉会長村上氏が即答!「もう一度、就活をするとしたらどこに入るのか?」誰もが予想しなかった意外な会社とは(前編)
- 「最悪の事態を想定していれば、問題は解決する」元グーグル村上憲郎に影響を与えた2人の先輩
1つ目の記事は就活を踏まえた内容になっており、フランクな語り口から村上憲郎氏の人格やキャリア観をうかがうことができる、就活中ならぜひ目を通しておきたい記事です。
2つ目の記事は問題解決の方法について語っています。外資系企業で働く中で、言葉や技術など数多くの困難を乗り越えてきたバックグランドから、問題に立ち向かうためのマインドセットを学ぶことができます。
村上憲郎の著書
村上憲郎氏は共著も含めると多数の書籍を出版しています。以下は村上憲郎氏が執筆した代表的な著書です。
- 村上式シンプル英語勉強法
- 村上式シンプル仕事術
- 一生食べられる働き方
- 知識ベースシステム入門
「村上式シンプル英語勉強法」「村上式シンプル仕事術」「一生食べられる働き方」は、村上憲郎氏が外資系企業で働く中で身につけた仕事のやり方がメインです。
村上憲郎氏はなんと30歳以降から英語を勉強し始めたそうです。勉強方法や仕事術を知りたい方はぜひ読んでみてください。
「知識ベースシステム入門」は上記3つのものと異なり、研究者的観点から書かれたものです。人工知能を知るための基礎的な知識について説かれているので、IT業界で開発に携わりたい人におすすめです。
村上憲郎(むらかみのりお)の発言から学ぶこと
村上憲郎氏の言葉を、前Google日本法人名誉会長村上氏が即答!「もう一度、就活をするとしたらどこに入るのか?」誰もが予想しなかった意外な会社とは(前編)から抜粋します。
村上憲郎氏は仕事に厳しく取り組みながらも、同時に楽しみながら働き続けてきたことわかります。
①「働くということは、明日の食料を手に入れるためだ」
輝かしいキャリアを歩んできた村上憲郎氏は、何がモチベーションとなってここまで昇りつめることができたのでしょうか。上記は「何のために働くのか」という問いを投げかけられた時の答えです。
村上憲郎氏は上昇志向を持ちつつも、心の底ではただ「生活のために、家族のためにお金を稼ぐ」というシンプルな目的のために働き続けてきたそうです。
村上憲郎氏が学生だった当時、戦後の日本は貧しさに苦しんでいました。その経験があるからこそ、「収入を失ってはならない」という強い意思でキャリアを積むことができたと語っています。
②「大手に就職したってだけじゃ、これからの時代どうしょうもない」
最近の就活生の大手志向に村上憲郎氏は疑問を持っています。安定性や高い給料など、いわゆる「大手ブランド」を求めているだけでは一流のビジネスマンになることはできない、という思いを読み解くことができます。
しかし、大手企業に入社することを否定しているわけではありません。「戦略として大手に入るのはあり」と語っており、3年なら3年、と自分の中で期限を決めて会社での学びに集中することをすすめています。
大企業に入ると、3年もすると社会人としての基礎がしっかりと身につきます。その基礎を得ることは非常に有意義なことなので、大手企業に甘んじず、その基礎を生かして真のキャリアに向かうべきだと説いています。
まとめ
今回は村上憲郎氏の経歴や人物像について解説しました。
現在73歳にもかかわらず、今もIoTや人工知能への研究を怠らない村上憲郎氏から、キャリアを積む上で大切なことはシンプルな情熱だということがうかがえます。
エンジニアの仕事が好きだったからこそ、Googleの社長にまでなれたのでしょう。また、村上憲郎氏は著書を通して英語の大切さも説いています。英語は今後のビジネスで欠かせないことは間違いないと考えられます。
キャリア形成に悩んでいるなら、ぜひ村上憲郎氏のインタビュー記事や著作を読んで、彼の考えを学んでみてください。