大塚家具の社長は大塚久美子氏です。最近ではお家騒動で連日メディアを賑わせていましたが、最終的には大塚久美子氏が大塚家具の社長に落ち着きました。大塚久美子氏は一体どんな経歴を持っているのでしょうか。今回は大塚久美子氏の経歴や実績に加え、父親とのお家騒動についても紹介します。
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この記事の監修者
キャリアカウンセラー|秋田 拓也
厚生労働省のキャリア形成事業にキャリアコンサルタントとして参画。
大手警備会社にて人事採用担当として7年間従事の後、現職にて延べ200名以上の企業内労働者へキャリアコンサルティングを実施。
■所持資格
国家資格キャリアコンサルタント、産業カウンセラー、CDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)
大塚家具の社長は大塚 久美子
大塚 久美子(おおつかくみこ)は大塚家具の代表取締役です。以下では大塚家具と大塚久美子氏の基本情報について説明します。
大塚家具の基本情報
大塚家具の基本情報は以下の通りです。
大塚家具は一族経営の企業で、創業者の大塚勝久氏は久美子氏の実の父親です。久美子氏の弟や妹が役員を務めていたこともあります。
現在は中国系企業に事実上買収されてヤマダ電機の傘下に入ったため、一族の顔ぶれは役員から姿を消しています。
大塚家具の社長 大塚 久美子のプロフィール
大塚久美子氏のプロフィールは以下の通りです。
大塚久美子氏は大塚家の長女です。大塚家具入社前に銀行に総合職として勤め、大塚家具に入社した後も一度コンサル会社に転職しており、キャリアウーマンの代表格だと言えます。
また、父親勝久氏の息子である勝之氏は、久美子氏の弟にあたります。
大塚家具の社長 大塚 久美子(おおつかくみこ)の経歴と実績
続いて、大塚久美子氏の経歴と実績を時系列で紹介します。
大塚久美子氏はキャリアウーマンらしく、華々しい職歴を積んできたと言えます。
お家騒動の後業績が傾いてしまった大塚家具ですが、大塚久美子氏は社長に任命されるにふさわしい実績を残しています。
大塚家具の社長大塚 久美子の経歴
大塚久美子氏は新卒で銀行に入社し、大塚家具に転職しました。その後コンサルを経てから再度大塚家具に出戻りし、社長となっています。
以下で彼女の経歴を説明します。
勉強熱心で研究者を志したが銀行に入社する
1991年に大塚久美子氏は一橋大学の経済学部を卒業し、筑波大学の法科大学院に進学しました。勉強熱心な久美子氏はそのまま研究者になることも考えていましたが、バブル景気で就職に有利だったので民間就職することに決めました。
当時はバブルと言っても女性の就職が今より難しい時代でした。それにもかかわらず、大塚久美子氏はみずほ銀行の前身である富士銀行に総合職として就職できたのです。
就活生だった当時からキャリア志向だったことがうかがえます。
銀行退職後に大塚家具に転職
富士銀行で企画や国際広報を担当した後、人員が足りていなかった父親の会社を手伝うため、大塚家具に転職しました。入社から2年後には取締役に就き、大塚家具の抜本的な組織改革に着手しました。
それまでは個人の能力に依存する部分が大きかった組織ですが、大塚久美子氏が各部門の仕組みを整えて、大塚家具を組織としてより成熟させたと言えます。
その後は大塚家具を退職し、広報・コンサル業務を手がける株式会社クオリア・コンサルティングを設立して代表取締役となりました。
コンサル会社を経て大塚家具の社長に就任
自分の会社を立ち上げた大塚久美子氏でしたが、再び大塚家具への声がかかります。父親の勝久氏の経営下で業績は下降する一方だったので、経営改革を行うべく大塚久美子氏が社長に指名されたのです。
しかし、就任から3年で社長を解任され、父親の勝久氏が再び社長に就任しました。経営方針の違いが原因だったのは明らかで、これが大塚家具のお家騒動につながっていきます。
一連の騒動の後、勝久氏が社長から退き、再び久美子氏が大塚家具の社長に返り咲きました。
大塚家具の社長大塚 久美子の実績
大塚久美子氏は社長としてどのような実績を残したのでしょうか。
社長に選ばれた理由として、それまでに着実に実績を積み重ねてきたことが挙げられます。以下で大塚久美子氏の実績を紹介します。
10年間減少していた客足が回復
大塚久美子氏は社長就任後、10年もの間減少していた客数を増やすことに成功しました。勝久氏の経営方針を一転させ、「誰でも気軽に入れる店舗作り」を目指したことがその理由です。
大塚家具は勝久氏の経営下では会員制を取り、また店員が顧客に付き添う密な接客を重んじていました。一方、久美子氏はそのせいで客足が遠のいていると考え、カジュアルな接客に切り替えたのです。
しかし、それによって父と娘の経営方針の違いが明らかとなり、争いに発展してしまいます。
北欧家具ブランドの発足や企業コラボを実施
それまでの大塚家具とは違ったイメージを作り出すために、大塚久美子氏はブランドの創出や企業コラボなどを積極的に行いました。
彼女が立ち上げた北欧家具ブランド「Morgenmarked」はリアルの店舗だけでなくECサイトも充実していました。
デザインオフィスnendoとコラボしてセレクトショップを開いたり、リブセンスと家具の通販サイトを展開したりと、ベンチャー企業と積極的にビジネスに取り組んで新たな試みにチャレンジしていったのでず。
大塚家具の社長 大塚 久美子(おおつかくみこ)の年収と評判
以下では大塚久美子氏の年収と評判を紹介します。
大塚家具は「無借金企業」として有名ですが、実際には負債が隠れているとの報道もあります。お家騒動のせいで、評判もあまり芳しくないようです。
大塚家具の社長 大塚 久美子の資産・報酬
2018年度の大塚家具の有価証券報告によると、大塚久美子氏の役員報酬は5,000万円です。
大塚久美子氏個人の資産は明らかになっていませんが、大塚一族の資産管理会社「ききょう企画」があることからも、莫大な資産を抱えていることが予想できます。
しかし、久美子氏が取締役を務めるききょう企画は、訴訟の末に勝久氏への17億円の支払いが命じられています。その支払いに追われており、実際にはどれほどの資産を抱えているのか明らかになっていません。
現代ビジネスでは「勝久氏の資産は総額60億円」との記載もあり、その一部が将来的に遺産として久美子氏に入ってくることも考えられます。やはり、かなりの額の資産があると見て間違いないでしょう。
大塚家具の社長 大塚 久美子の評判
大塚家具の社長・大塚久美子氏の評判はどうなのでしょうか。その評判を詳しく見てみましょう。
お家騒動のマイナスイメージが強い
大塚久美子氏の経営手腕を褒める声もあるものの、お家騒動で定着してしまったマイナスイメージは世間だけでなく社員にも浸透しているようです。
以下はカイシャの評判に記載のある、大塚家具の元・現社員から経営者への提言です。
(経営者としての魅力は)全くない。本社歩いてても挨拶をしてくれるわけでもない。今回のお家騒動でブランド価値を下げたことは間違いないと思うので、今後どうなるのか修復力が気になる。
経営方針はしっかり細かく年単位で計画されているのは全社員にもつたわりますが、世間をお騒がせする騒動を起こした点は上場企業としてはいかがかと思います。
大塚家具は長年かけて築き上げてきたブランドイメージによって顧客を定着させていました。お家騒動が現在にわたって大塚家具の売上やに影響を及ぼしていることは否定できないようです。
現場感覚が乏しい
大塚久美子氏は高学歴のキャリアウーマンで、大塚家具に入社後まもなく取締役に就任しました。そのためか、「現場感覚に欠けている」という批判の声が多くのメディアや転職者の口コミに見られます。
久美子社長にはさらにもう一つ、「よくある二代目、三代目の失敗」があります。高学歴な跡取りが銀行やコンサルティングファームで修行して、自社に移る。そして現場で泥にまみれる経験に乏しいまま、頭でっかちな机上論に走って戦略と称する絵に描いた餅を作り上げてしまうことです。
引用:BLOGOS「大塚家具を正念場に導いた久美子社長の”典型的失敗”2代目社長ぶり
何より社員を大切にすべき。営業経験のない社長だからなのか、現場の人間の意見を全く聞き入れず、独裁的な方針をやりすぎている。また、まわりの役員でそれを止める人間がいないのも問題だと思う。
引用:Openwork
たとえ推進力はあっても、現場をないがしろにしては経営の立て直しには至らないでしょう。本人が努力をしていることは社員や世間に伝わりつつも、その方法に疑問を感じる人が少なくないようです。
大塚家具のお家騒動とは
大塚家具のお家騒動は、創業者である父と娘である久美子氏の経営方針の違いが発端でした。
父親である勝久氏は社長の座を久美子氏にゆずり、自身は会長となりました。しかし、久美子氏がとった経営施策はそれまで客数を絞って高級路線を重視した父のやり方と異なり、それが勝久氏の怒りを買いました。
そのため勝久氏は久美子氏を社長から解任して再び社長となりますが、結局は株主の投票により久美子氏が最終的な社長に選ばれたのです。
そして、大塚一族の資産管理会社「ききょう企画」の取締役会では父親・母親・長男が解任され、久美子氏と妹・弟が残りました。家族が真っ二つに割れたのです。そして、家族間の訴訟に発展していきます。
最終的に勝久氏は「匠大塚株式会社」を創立して久美子氏と完全に決裂し、お家騒動は落ち着きました。しかし一度遠のいた客足は戻ってこず、業績が悪化し続けた大塚家具は現在ヤマダ電機の子会社となっています。
まとめ
今回は大塚家具の社長である大塚久美子氏について紹介しました。
世間を騒がせた親子ゲンカの張本人、というイメージが強いかもしれませんが、実際は着実にキャリアを積んできたという側面もあります。
現在も大塚家具の業績は降下していますが、今後もしばらくは大塚久美子氏が社長を続投すると思われます。