串カツチェーンの串カツ田中は海外進出も視野に置く企業に成長しました。その創業者社長はドラマチックな経歴を送ってきました。今回はこの串カツ田中の貫社長にスポットをあてます。貫氏の出身や副社長田中氏との関係、串カツビジネスに入った切っ掛けなども解説しますので、若い人たちも是非参考にしてください。
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この記事の監修者
キャリアカウンセラー|秋田 拓也
厚生労働省のキャリア形成事業にキャリアコンサルタントとして参画。
大手警備会社にて人事採用担当として7年間従事の後、現職にて延べ200名以上の企業内労働者へキャリアコンサルティングを実施。
■所持資格
国家資格キャリアコンサルタント、産業カウンセラー、CDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)
串カツ田中の社長は貫啓二
「貫啓二(ぬきけいじ)」氏は株式会社串カツ田中ホールディングスの代表取締役社長です。いまや串カツチェーンと聞いて思い浮かべない人はいない、というほど知名度が高い串カツ田中ですが、今のように串カツ田中が成功した背景には貫氏の波瀾万丈な人生がありました。
この記事では、串カツ田中を200店舗を超える一大串カツチェーンにした社長である創業者貫氏の経歴や運命的な出会いなどについて解説します。
女性副社長の田中洋江とは旧知の仲
串カツ田中はなぜ「串カツ”貫”」ではなく「串カツ”田中”」なのでしょうか。実はこの名前の由来に串カツ田中誕生の秘密が隠されています。
串カツ田中の社長は貫氏ですが、副社長には田中洋江さんという女性の方が就任しています。
当時、広告代理店に勤務していた田中氏は、かつて貫氏が経営していたBarの客の一人でした。Barに通ううち、次第に「時給なしでお酒飲み放題」という条件でお店を手伝うようになり、貫氏のビジネスパートナーとして働いていくことになります。
二人で試行錯誤して事業を展開していく中、田中氏のアイデアで生まれたのが串カツ田中でした。貫氏と田中氏の出会いが串カツ田中を生み、ここまで成長させたのです。
串カツ田中は外食チェーン
串カツ田中は店舗数200を超える串カツチェーンのトップランナーです。創業は2002年ですが、実際に第一号店を世田谷の住宅街にオープンしたのは2008年のことです。
東京を中心にフランチャイズ店を増やしていき、串カツの聖地である関西での出店も果たし、今後関西・九州を中心に店舗を全国展開する戦略です。
味・レシピにこだわりを持っている
串カツ田中の衣・油・ソースはすべてがオリジナルブレンドです。特にソースにはこだわりがあり、田中氏の亡き父・田中勇吉から受け継いだ特別レシピから作られています。大阪B級グルメの味を継承しながらも他店では味わえない味となっており、全店で味にブレがないようにされています。
ちなみに串カツ田中では、衛生面を考慮してソースの継ぎ足しはせず、客ごとに処分しています。
従業員も大切にする経営方針
串カツ田中のホームページに「社長の考えかた」という項目が掲載されています。ここに記載のある企業理念の一つに「 スタッフの笑顔 スタッフが笑顔で安心して働け、かつ、やりがいのある会社を作ります 」があります。お客様や取引先の笑顔も大事ですが、働いているスタッフも笑顔で働ける環境づくりを大事にしています。
また、貫氏はかつてトヨタで働いていた経験から、「辞めるといったらみんなに反対されるトヨタ」のように、 串カツ田中を「みんなが働きたいと思ってくれるような一流企業」にしたいと宣言しています。
「とにかくいい会社にしたい」という想いから、スタッフのワークライフバランスを大事にし、ただ休みを増やすだけでなく、やりがいを持って仕事が取り組めるような良い会社にするために様々なチャレンジを行っています。
串カツ田中の社長(貫啓二)の出身や経歴
串カツ田中の創業者である貫氏は紆余曲折の後、串カツチェーンの成功にたどり着きます。晴れた日も雨の日もあったようです。では彼のジェットコースーのような上り下りのあるこれまでの経歴を追っていきましょう。
串カツ田中の社長(貫啓二)は大阪府出身でトヨタ輸送に就職
貫氏は1971年大阪生まれです。かなり長身で中学生の時に既に180cmを超えていたそうです。高等学校を卒業後、大学に進学しないでトヨタ輸送に就職します。早くから起業を意識していたようですが、外車を乗り回す知人を見て起業の意志を固めます。
そこからトヨタ輸送で仕事をしながら起業準備を始めます。起業資金を貯めながら、知り合いのBarのオーナーのもとで勉強にいそしみます。
Barでは無給で働いたそうです。この辺りのバイタリティと意志の強さは流石で、今日の若い人にも参考になる部分です。
27才でショットバーを開業も失敗
実際にショットバーを開業したのは27歳のときでした。トヨタ輸送で10年間勤めた後のことでした。ところがショットバー経営は思ったほど上手くいきませんでした。
1年間経営して時給に換算してみると、何と500円だったそうです。これではトヨタ輸送の頃と何も変わらないと落ち込んでいたときに田中氏と出会います。
当時田中氏は広告代理店に勤めていて、貫氏が経営するショットバーのお客の一人だったようです。そのうち「無給、お酒飲み放題」という条件で店を手伝うようになり、やがて二人はビジネスパートナーになります。
旧知の田中洋江氏と共に串カツ田中を創業
2001年二人は大阪でデザイナーズレストランを開業します。TVや雑誌でも取り上げられる繁盛店になり、その勢いで2003年東京青山に進出します。こちらの店は個室の京懐石料理とし、これも大ヒットします。
しかし業態転換の失敗や経営スタッフ不足で全体の経営が行き詰まります。当時のリーマンショックという経済事情もあって7千万円もの借金を抱えてしまいます。
その時田中氏から串カツチェーンのアイデアが飛び出します。田中氏の父親が残していた串カツの秘伝タレレシピが決め手となり、現在の成功に漕ぎ着けました。
串カツ田中の社長(貫啓二)の資産や年収
有価証券報告書によれば串カツ田中の役員6人の役員報酬は9,400万円ですから、一人あたり年収は1,560万円になります。
貫氏は資産として約243万株の株式を個人として保有していますので、毎年その配当約3,200万円を受け取りますので、両者を合わせると年収は4,700万円程度となります。
串カツ田中の社長(貫啓二)をもっと知りたい方
記事を読む
起業のきっかけやヒットした経緯、ライバル店との違いなど、社長視点から見た串カツ田中はどうなのかを聞いたインタビュー記事があります。「 B級グルメの串カツだけど一流の飲食業ではなく、一流の企業を目指す」と語る貫氏の熱い想いはどのように事業に反映されているのか、気になった方はこちらの記事もご覧ください。
テレビ放送を見る
2018年7月26日のカンブリア宮殿(テレビ東京)で貫氏が取り上げられています。
白いテント看板に赤と黄の提灯。「美味しい」「安い」「楽しい」とサラリーマンのみならず、ファミリー層にも圧倒的人気を誇る「串カツ田中」。7月に200店舗を超え、店舗数・売上げともに破竹の勢いで伸ばし続けている。大阪から東京進出。失敗続きの飲食店経営。借金地獄から一転、秘伝のレシピに出会い、わずか10年で一部上場企業に躍進。サクセスストーリーの裏でもがき続けた貫啓二社長の生き様と経営理念に迫る。 (カンブリア宮殿 紹介文より引用)
テレビ東京ビジネスオンデマンドで閲覧が可能ですので、気になった方はぜひご覧ください。
まとめ
串カツ田中の創業者社長貫氏について解説しました。若くして起業したバイタリティあふれる経営者です。多くの失敗を乗り越えて串カツ田中をここまでにした手腕は現代の若い人にも大いに参考になります。
偶然の出会いが人生を変えるということも実際にあるのです。常に念頭に置いておきましょう。